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技術者がバイオマスを語る-コラム

バイオマスを技術者が語る-コラム

2010/8/8 日曜日

八ヶ岳倶楽部Ⅱ「それからの森」 柳生 博 

カテゴリー: 本を読んで   by editor5 @ 21:33:11

柳生博は皆さんご承知の著名な俳優ですが30年ほど前から自然の中の暮らしを求めて、八ヶ岳の南麓に移住しました。
これはその30年にわたる森の生活の記録です。
そのきっかけは、俳優としての生き方が家族の暮らしのバランスを崩しかけたことに気付いたことだったそうです。
そのときに思い出したのが,13歳のときに訪れた八ヶ岳の原生林で体験した不思議な森の記憶でした。
森の奥深くに足を踏み入れるにつれて樹木がうっそうと繁り、人間以外の気配に包みこまれる世界で、草花やそこに棲む動物や虫たちの息吹に囲まれて、彼は自分の生き物としての本当の姿を知ったのです。
あそこに行けば自分を、家族のバランスを取り戻すことができるのではないかと思ったときに、衝動的に家族そろっての移住に踏み切りました。
そからは野良仕事の毎日だったそうです。
全く手入れされていなかった人工林に分け入って、光の入らない森を間伐し、本来そこにあったはずの樹を植えて草を刈る日々が続きました。
こうして小さな森が息を吹き返してくるにつれて、彼の家族も次第に生き物としての本来の姿に帰り、バランスを取り戻したのです。
やがてその生き方が人々に知られるようになり,10年後には多くの人たちが見学にきてその対応に追われる事態になりました。
またここでバランスが崩れかけたのですね。
そこで考えたのがその森の一部をパブリックスペースとして開放することでした。

八ヶ岳倶楽部の誕生です。
家族だけの空間が多数のひとを迎える問題はあったのですが、一方自分たちのつくった美しい森と自然を見せたくてしかたがなかった気持ちもありました。
まず奥様の趣味を生かして、森の中のギャラリーをつくり、そこにさまざまな作家のアートを展示し、次いで小さなレストランを開きました。
お店の経営には全くの素人でしたから、家族の苦労はたいへんだったそうです。
ここでの息子さんたちの協力は大きくて、やがて友人のつてなどで専属のスタッフが揃ってきました。
森を眺めるテラスもつくり中庭もできて、常連たちによるコンサートや結婚式も開かれるようになったのです。
人は森を眺めていると、どうしてもその中に入ってゆきたくなるものです。
しかし大勢の人が立ち入ると林床が荒れてしまいます。
そこで古い枕木をもらって小道に敷き詰めることにしました。
すべてが手作業だったそうです。
こうして森は見事に再生しました。
シラカバやアオハダなどが美しく育ち、やがてたくさんの野鳥たちが集まってきました。
彼は現在日本野鳥の会の会長です。
野鳥の気持ちになって森に入ると、また視点がかわるといいます。
自然の象徴ともいわれるイヌワシもくるようになりました。
ここでの主役は自然の森なのです。
四季を通じてのたいへんな作業の成果によるものでした。
彼は営繕ということを強調しています。
壊して建てるのではなく、細かく手を入れてより美しいものにしてゆくのです。
標高1350>mのこの八ヶ岳倶楽部は、エコという前にごく自然にエコな生き方を実践していました。
よくあるタレントショップでない、本物の自然を愛する姿は見事なものです。
たまたま昨年
KVSのテニス合宿でここを訪れて、彼とK-BETSの話をしたのも楽しい思い出でした。
この本が出る直前だったようです。
写真も美しいので、緑陰での読書には最高の一冊としてお勧めしましょう。
    「了」      (要約)吉澤有介

  

ジャガイモのきた道   山本紀夫 岩波新書

カテゴリー: 本を読んで   by editor5 @ 21:07:42

  栽培面積では世界第4位のジャガイモ、南米アンデスで栽培種として誕生以降世界にどのように伝わっていったか。
戦争や飢饉、文明の発展等世界の色々な場所でドラマが展開してきた。

ジャガイモの故郷
中央アンデスの高地 4000m位のところ。 
緯度の低い熱帯地域であるため雨季と乾季がある。
長い乾季に耐えて生きるため地下茎や根に養分を貯蔵する形の植物として存在していた。

原種は小指ほどの大きさで毒(ソラニン)を含むため食べられなかった。

栽培種への工夫
長い時間をかけて食料にする努力が続けられた。
まず毒の少ない品種を探し出すこと。
次は毒を抜く方法を考えだしたこと。
野天に放置しておくと凍結と解凍を繰り返す。
これらを足で踏み潰ぶして水分を除去する。
さらに水さらしして乾燥したものを作った。
こうすると繊維が破壊されてその組織に内蔵されている毒が除去できた。
現地では毒抜きのこれを「チューニョ」と呼んでいる。

いつまでも保存が利くのと軽くて運搬し易いので重要な食料に変化した。

山岳文明を築いたジャガイモ
考古学や歴史では穀物栽培だけが文明を生んだとされるが現地調査の結果ではジャガイモこそがアンデスの山岳文明を生んでいた。
ティティカカ湖畔のティワナク神殿は巨大な石でできている。
太陽の門は10トンに及ぶ石に彫刻が施されている。
200haに及ぶ広大な居住区にはBC500年ごろ35万人におよぶ人口をかかえ繁栄した。
都市を支えたのはジャガイモの集約農業、リャマ、アルパカの集約的牧畜と湖の資源利用であった。

しかしAC10世紀には大規模な乾燥化により崩壊してしまった。

インカ帝国
スペインが進出したときの首都クスコ(人口20万人)、総人口1千万人以上の大国家であった。
彼らが農耕技術で驚いたのは「灌漑」と「階段耕作」であった。
高地ではジャガイモ、低地ではトウモロコシが栽培され主食はジャガイモであった。

ヨーロッパ人のジャガイモ発見
インカは1532年スペイン人に征服された。
トウモロコシはすぐ知られたがジャガイモは中々食料として認められなかった。
聖書に出てこない食物であるというのも好意的に受け入れられなかった一つの理由であった。

1570年代にスペインに渡って世界中に広まっていった。

戦争と共に拡大したドイツのジャガイモ
戦争で畑が踏み荒らされても被害が少ない。
戦争が激しくなる(30年戦争等)に従いこの栽培が広まっていった。
飢えから人を救う食料として18世紀末から増えだした。
一人当たりの年間消費量は1850年:120kg1890年:300kg、20世紀には国民食に定着した。
ドイツ料理といえばジャガイモである。

アイルランドの場合
17世紀畑作に受け入れられた。
北緯50度を越え寒冷地に加えて土壌が痩せていたがジャガイモは良く育った。
エンバクと酪農の国だったが冬の食べ物が無くて困っていたがこれをジャガイモが救った。
栽培が急拡大して18世紀半ばには4.5kg/日人の消費量でジャガイモが唯一の食料になり、「ジャガ好き国民」になっていった。
人口も急拡大し1754320万人が100年後の1845年には820万人になった。
ところが1846年イモ畑に疫病が発生して9割がかかってしまった。
餓死者100万人がでて国民は新天地を求めて米国に移民した。
移民した米国では彼らはカトリック教徒のため迫害やいじめを受け続けた。

アイルランドの悲劇
ジャガ好き国民のため飢饉のとき代替作物が全く無かった。
何種類かあるジャガイモの中でやせ地に育つという単一品種だけを栽培したため疫病の被害が莫大だった。
多品種、多種食物といったバラエテーに富んだ食料配分にしないと災害や病気といったアクシデントに対処できなくなる。
この不作で国外脱出で人口は440万人に激減し耕地は放牧地になってしまった。
アイルランド系の人口は世界に7000万人もいてユダヤ人と同じ運命をたどっている。
米国で成功した数少ない例はケネディー大統領一家である。

ヒマラヤのジャガイモ革命
19世紀半ばにネパールに入ってきた。
シェルパの故郷ソルクンプ地方の耕地でもよく育つことが分かった。
大麦やソバの栽培からジャガイモに変ってきて食生活が豊かになった。
生産が増えると共に栄養価が高いので人口が増加した。
1836169世帯だった地域が1957年、596世帯にまでなった。
チベット地区からの転居する人が多かった。
村も豊かになり僧院など文化施設も充実したのはこの時期からである。

これはこの地方だけの現象でなくネパールの国全体に好影響をもたらし高い山の上までジャガイモが植えられて人口を支えている。

日本の場合
1500
年代の終わり頃にはオランダ人が持ってきて長崎から各地に広がっていった。
西欧各地では中々受け入れてもらえなかったジャガイモも日本では伝来のヤマイモやサトイモがあったため簡単に受け入れた。
江戸時代後半には北海道や東北で盛んに栽培されデンプン工場が生まれた。
ジャガイモは水分が多く運搬に苦労するのと腐りやすく芽がでてくるため保管上の問題もあったためデンプン加工が考えだされた。


     記      福島 巖

  

2010/6/25 金曜日

バイオ燃料を藻類から ー 日本は積極的に推進すべし

カテゴリー: K-BETS雑感   by editor5 @ 11:53:04

 日本経済新聞―2010.5.22 第一面トップ記事
     バイオ燃料を藻類から
ー農水省、トヨタ・中大などと共同研究 
藻類で飛行機や自動車を動かすー

農林水産省は企業や大学と連携し、湖沼などに生息する藻類を原料としたバ
イオマス(生物資源)燃料の開発に乗り出す。
月内にもトヨタ自動車や中央大学などに委託する共同開発に着手、2020年を
目標にガソリンや軽油の代替燃料の実用化を目指す。
産学による新エネルギー創出の取り組みを本格させ、温暖化ガスの削減につ
なげる。
農水省が手がけるのは、「シュードコリシスチス」という藻類を育
てて内部にたまる油を取り出し、ガソリンなどに代わる燃料を精製する仕組
みづくりの研究。
10年後を目標に藻類から自動車や飛行機などに使う石油の代替エネルギー
を抽出、量産できる技術を開発する。国内で消費する軽油の1~2割を賄え
る体制を整えたい考えだ。こ
の開発にはトヨタやデンソーのほか、京都大学、バイオ
ベンチャーのマイクロアルジェコーポレーション(岐阜市)など9社・大学が参加する。
*********************************************************************
藻の研究は、日本はアメリカに遅れていると気がついた政府は、産学との連
携を財政面
からも支援すると閣議決定したようです。
ここに
K-BETSも関係持ちたいものです。
廣谷 精拝
*********************************************************************
佐野レポートから把握している状況では今まで日本の政府関係者は藻類からのバイオエネ
ルギーの可能性について無関心であったと思われます。
2020年を目標に代替燃料の実用化を目指して、取組を開始したと言う情報ですがアメリカ
政府関係、州政府の動きや関連ベンチャー企業の活発な状況からすると
雲泥の差の様に感
じられます。
その大きな原因として考えられることは、日本の土地利用に関する観点からの検討が大き
く欠落している様に思います。
日本には広大な耕作放棄地があり、今では40万ヘクタール以上、全耕作地の10%以上が
何も栽培していない放棄地となっている。
この半分の土地に藻類などの生産にあてる長期
計画を構想するならば、
パームオイルの20倍のバイオマスエネルギー生産が可能なる事業
が創出される。
この可能量の推計には、廣谷様のコラム投稿論文などにも事例が載せられていますが、
本の森林の林地残材から得られる可能性のあるエネルギー換算総量に匹敵する以上の
潜在
可能性があります。
不足しているのは、その潜在可能性に目を向ける技術開発への取組体制でしょう。
日本の農水省は、2002年にバイオマスニッポン総合戦略を立案して、エネルギー化の可能
なバイオマス賦存量を推定したが、これには、藻類に関する可能性は全く
触れていない。
それを改訂して強化した2007年でも、藻類に対する取組姿勢は全くゼロに近かった。
それがやっと、ここにきて、共同研究に支援をすることになったという段階であるから、
メリカに遅れる事は数周の開きがある様に思います。
また、日本は海洋国家であるにも拘わらず、日本沿岸の恵まれた内浦を利用しての、海藻栽
培、養殖技術の土台があるのに、少しも研究体制を強化することをしないで、
単純に漁業地
帯の過疎対策程度の支援しかしていない。
一方、中国では、沿岸部に1400kmに達する人工の藻場(海藻の養殖地帯)を造り、既に航
空機燃料用への利用事業の検討に着手している。
日本はアメリカの様に、大きな陸地を持っているわけでもないので、必然的に将来の課題とし
ては、海面を利用する方向に行かざるを得ない。
それには、海水でも養殖出来る海藻の研究と人工栽培、それのバイオ燃料化への、生産性の優
れた技術開発が、もっとも必要になる方向である。
 着手
の順番としては、淡水の藻類から研究する方向もあるが、海藻の養殖業はすでに、地場の
産業として実績があるから、それを近代化したり拡大していけば、
2020年を待たずにして、バ
イオマスエネルギー産業に育てることは可能性があります。
大きな課題は、日本の政府関係者と地域の産業育成に関して、藻類のバイオエネルギー産業を
育てる意識が、ほとんど欠落している現状を変えていくことにあると思います。
        渡邊 雅樹
  

  

2010/6/22 火曜日

植物はなぜ5000年も生きるのか鈴木英治 講談社

カテゴリー: 本を読んで   by editor5 @ 17:35:18

  - 寿命からみた動物と植物のちがい -

 著者は鹿児島大学理学部地球環境科学科教授(理博)で植物生態学の研究者です。
縄文杉の樹齢は7200年といわれていましたが、最近の放射性炭素による測定では約3000年くらいだそうです。
それでも生物の寿命としてはたいへんなものでしょう。
世界で確認されている最長樹齢は、アメリカネバダ州で発見されたイガゴヨウマツで、切り株の年輪は4844あったので、そのまま生長させておけば5000年にはなったものと見られます。
 
動物ではとてもこうはいきません。人間では最近寿命が延びたといっても、100年を超えることは稀です。哺乳類ではナガスクジラが116歳、動物としてはゾウガメが200歳くらいのようです。ツルになるとせいぜい80年といいますから、伝説とはかなり違います。
 植物も動物もすべて、約38億年前に誕生した生命の祖先から生まれてきたものと考えられていますが、その寿命の違いは、生命体を構成する基本となる細胞の性質と、生物が進化しながら先祖の性質を伝えてきた遺伝子がカギになっています。
 生物体の特徴の一つは有機物でできていることですが、もっとも基本的な特徴は自己複製能力にあります。自分の複製をつくる方法は、植物も動物もバクテリアまでさまざまな生物の間で驚くほど共通しています。
そのメカニズムはかなり明らかになってきました。
 一方、死についてははじめからあったわけではなく、生物進化の過程で生まれてきたのだそうです。最初の単細胞生物では、自分と同じ細胞を次々に複製してゆきました。みな同じ遺伝子を持っているので、分裂した細胞集団はすべてが自分自身ですから、死ぬことはありません。ところが生物は、ほとんどの種が有性生殖を採用するようになりました。有性生殖の結果できた細胞は、自分の遺伝子を半分持っていますが、あとの半分は他の個体からきたものです。つまり自分自身が消えて、新しい生命が生まれるというわけです。そのためにもとの個体は死ぬということになりました。 ではなぜそれほどまでして有性生殖を採用したかについて、著者はこれをピンチに立った会社が他社と合併して生き延びるようなものだといいます。遺伝子は使っているうちにどこかが壊れてくるので、それを修復するために別な個体と遺伝子を交換しているというのです。他の個体でもどこかが壊れてはいますが、その場所はまず一致しないからです。 では長生きは生物の理想なのでしょうか。生物にとって本当に重要なことは、自分のDNAを伝え広めてゆくことです。「利己的な遺伝子」を書いたイギリスのR・ドーキンスは「生物の個体はDNAの乗り物」といいました。そうすると個体が長生きするかしないかは、大きな問題ではありません。新しいクルマに次々乗り換えるか、同じクルマを長く使ったほうがよいかは、簡単には決められないことです。環境変化に適応するために世代交代を早くするか。コストをかけても体制を強化し、防御を固めて生き延びるかによって、進化の道筋がわかれてきたのです。 動物と植物の違いは、動物は動き、植物は動かないということですが、その相違は細胞の性質にあります。動物には細胞壁がなくて動きやすいのですが、身体が柔らかいので骨格で支えています。植物は硬い細胞壁でしっかりと覆われているので、動くことができません。一つ一つの細胞が、硬い細胞膜でブロックの壁のように組み立てられています。 哺乳類では、それぞれの組織が専用の分裂組織をもってどんどん成長します。ただ心臓の筋肉や神経の細胞は赤ん坊の時からもう分裂しません。もとの細胞を使い続けるのです。 また動物の体細胞には分裂の限界があることがわかってきました。分裂するたびに染色体が次第に短くなってゆきます。修復するにしてもコストがかかるので、そのまま老化してついには死ぬことになるのです。環境への適応度を高めるために、積極的に世代交代を進める、いわゆるプログラムされた死だろうという説もあります。 植物では種子が発芽すると、茎の先端と根の先だけが分裂成長します。また樹木の場合は幹や根のすぐ内側に、肥大するための新しい細胞が形成されます。これが年輪になるのです。古い細胞は死んでしまいますが、硬い細胞膜はそのまま残って構造体になります。    また組織が単純で花や葉のように同じ器官がたくさんあるので、傷ついても再生が容易にできるのです。老化することなく無現に分裂を続けてゆきます。植物では一年生草木や、繁殖して枯死する竹などを除けば、加齢によっても繁殖能力は衰退しません。健康な樹木であれば若い樹と同じように開花結実します。 木の寿命を種子の段階からみると、非常に長い間休眠するものがあります。1万年前のカナダのマメ科の種子は実際に発芽しました。おおまかにみると発芽してからの寿命の長い植物は種子の寿命が短く、発芽後の寿命が短い種子は長生きするそうです。休眠中の種子は、生育に都合の良い時期に発芽しようと待ち構えているのです。 樹木では針葉樹のほうが広葉樹より長寿です。広葉樹は年輪がわかりにくいのですが、ケヤキで1400年生きた例が放射性炭素の測定で確認されました。しかし針葉樹にはかないません。比重としては広葉樹のほうに重いカシ類がありますが、腐って倒れることが多いのです。法隆寺のヒノキは樹齢2000年ですが、1300年たった今でもビクともしません。 針葉樹の材は軽いのに腐り難いのです。その秘密はリグニンが多いことにあるのです。リグニンは広葉樹にもありますが、針葉樹のほうに多く含まれ、しかもなぜか腐り難い性質があります。樹木は硬い細胞壁に支えられており、鉄筋コンクリートの建物に例えると、セルローズが鉄筋、リグニンがコンクリート、ヘミセルローズは鉄筋とコンクリートをしっかり付着させる針金に相当するといいます。またスギやヒノキには樹脂が多く含まれて、虫からの食害を防いでいることも、長寿の大きな要素になっています。広葉樹でもクスノキが、樟脳の防虫効果で長生きしています。しかし寿命にはやはり限界があるのです。  植物は針葉樹のような裸子植物から、広葉樹のような被子植物に進化してゆきました。しかしその進化は、寿命よりも生長を早める方向にあって、中世代の地球の大変動に適応して子孫をのこしてゆくためではないかといわれています。

         2010621日  要約 吉澤有介

  

2010/6/13 日曜日

月の魔力  A.Lリバー  藤原正彦・美子訳    東京書籍

カテゴリー: 本を読んで   by editor5 @ 12:32:25

この本は世界の各国でベストセラーになって広く読まれたものです。
木を切る時期と月が関係しているとの説があったのでこの本を更に
読んでみました。
日本語訳は藤原先生御夫妻が担当しています。
先生は訳すだけでなく出産のデーターを集めて理論の正しさを証明
しました。

 月のリズム
5億年前生命は海から陸地に進出した。このきっかけは月が潮を
移動させたため浅瀬にあった生物が周期的に太陽と大気にさらさ
れるようになった。
このリズムが遺伝子に組み込まれ生命活動の中で機能しています。

魚の産卵やウナギの産卵場への移動は満月の時に行われる。
魚の食餌時刻リズムは月暦に従うので太陽暦に従うと毎日時間が
ずれて行くことになる。

満月のときに起きる生物の行動
精神病院などでは患者のおかしな行動が目立つ。魚や動物の身体
行動、代謝活動、攻撃性、性行動などが活発になる。

バイオタイド(biotide)理論
作者が提唱する理論。我々の身体は陸地と同じ成分構成で水分80
%
、他20%は個体である。海水や陸地が月の引力の影響を受けると
同様体内の水分もその影響を受けるというのが理論の中心。
水は体内の管内液(血管)、細胞外液、細胞内液の3ケ所に分か
れて存在する。
体内の水が増えると組織が緊張し膨張する、神経が興奮する。

月は引力だけでなく地球の電磁場を変化させる。
その影響が神経系統に強く及ぶため様々な精神活動が変化する。

天体のサイクルにより生体のリズムが決まる(ブラウン博士)
満月、新月のとき出産が多い。
月経サイクル=月齢サイクル(29.5日=月暦1ケ月)。
妊娠期間=29.5X9(265.8)日(月暦の9ケ月)。
太陽黒点は11年周期。
これに同調するもの:生物の総数の増減
(海藻、サンゴ、魚、昆虫など)

伝染病(ペスト、コレラ、インフルエンザ等)の流行周期 
太陽表面の爆発が磁気嵐になって地球の磁場を変化させて心臓病
の発生率を高くしている。(ロシア、デュプロフ博士の研究)

生物の進化と月
生物は海から陸上に上がった。その際潮のリズム:一週間周期で
動物の生命機能は働き続ける。動物の進化の初期に太陽や月によ
る地球物理学的リズムの上に生体機能が次々形作られていった。
我々の生活のリズムは10日単位でなく7日である。

地球物理学的リズムの例:
(1)海水の満潮と干潮
(2)陸地も水のように容易ではないが15cmの上昇があり地殻
を引っ張る力は地震の引き金になることがある。

磁場と動物の情報伝達
磁場を通じて天体現象が水の物理的性質に影響を与えている。
人間の体内水分にも同様な影響がある。細胞膜を通過する水分速
度、血圧、心臓の脈拍動が変ってくる。神経の伝達機能にもその
影響が及ぶ。

動物同志の情報交換はこの電磁波を通して行われている。
魚や鳥、昆虫など群れをなしたものが同時に同じ行動をする。
これらが生まれた場所に長い回泳や飛行の後正確に戻ってくるこ
とから分かるように磁場の微妙な変化を感知(生物コンパス)す
る能力を持っている。

人間は宇宙と力学的平衡を保っている
体内は神経インパルスに従って動く細胞群から成っている。インパ
ルスが神経繊維の中を走ると電磁場が生じる。これが引き金となっ
て化学物質を放出し筋肉や血管などを目指す細胞に伝える。
ドーパミン、セロトニンといった神経伝達物質はめざす細胞を興奮
させたり抑制したりする。       

   記  福島 巖

  

2010/5/11 火曜日

里地里山文化論 養父志乃夫 著 (社)農山漁村文化協会

カテゴリー: 本を読んで   by editor5 @ 19:58:47

著者は1957年大阪市生まれ和歌山大学教授(自然生態環境工学)です。

まず里地里山の定義を
「水と空気、土、カヤ場や雑木林から屋敷、納屋、牛馬小屋、畑、果樹園、
竹林、植林、溜池、小川、水田、土手、畦など一連の環境要素が一つながり
になった暮らしの場」
とし、さらに海岸や湖沼の近くでは、里海、里湖を加えている。

この暮らしの場はヒトだけでなく多様な動植物の生態系まで含んでいる。
 里山という用語は、一般に京大の四手井綱英教授の造語とされているが、
江戸時代の尾張藩の文書にすでに出ているという。
なぜこの里地里山が大切なのか、これは植生としてだけではなく、日本人の
在り方に深く関わっていることを、その発祥の時代まで遡って概観している。
1318万年前のリス氷期には中国大陸と日本列島は直接つながっていた。
さらに約712千年前のウルム最終氷期には、間宮海峡も津軽海峡も大陸
と地続きだったから、動植物もヒトも列島に移動できて、今日の生態系の骨
格が形成された。この最終氷期には本州の大半はまだ落葉広葉樹林で、照葉
樹林帯は九州沿岸部にある程度だったがその後の縄文海進とともに北上した。
列島は大陸から分離し、約6000年前の縄文中期には現在よりも平均気温は
23℃も高かった。
照葉樹林は増えたものの、関東や東北では暖帯性落葉広葉樹が広がっていた
ので、その木の実が豊かでこの時代の人口の増加を支えた。
おおよそ26万人いたと推定されている。世帯数で約4万戸はあったから、燃
料や焼畑耕作などで、かなりの立木を伐採したとみられる。
このころから二次林が形成されたらしい。
陽光の必要なカタクリなどの春植物が生き延びたことはその証だという。
縄文里山の誕生である。
しかし縄文晩期の約3000年前には、気候が寒冷化
して植生が変わり、木の実がとれず総人口は8万人弱に減った。
一方大陸でも気候不順に「春秋戦国の乱」の難民も加わって、この時代に
おもに長江中流から、おおくの人々が稲作や各種の作物とともにボートピ
ープルとして日本に渡来した。
朝鮮半島経由もあって、奈良時代初期までの1千年間に150万人が渡来した
とみられ、ここに稲作を基礎とする弥生式文化が形成された。
当時の稲作はすでにかなり完成後が高く、生産性は反当たり3400kgも
あったから、畑作技術を持ちながら寒冷化に苦しんでいた縄文人に素直に
受け入れられて、弥生文化は次第に北上した。
この小区画水田による弥生式農法は、我が国の水田耕作の原型となり、
その基本は昭和30年代まで続くことになる。
水田は灌漑用水路を通じて、1年をサイクルとする淡水魚などの生物相を
豊かにし、稲作民の栄養を支えた。
稲作文化の起源は長江中流とみられ、
日本文化の形成には雲南起源の照葉樹林文化より強い影響をもたらした。
自然環境と巧みに付き合って生態系を育む暮らしが、現代まで続いてき
たその原型は長江中流にあったことを、現地を調査した著者は確信した
という。水田を取り巻く動植物が、日本の里地里山に酷似していたので
ある。これらはヒトの移動とともに史前帰化していった。
著者はさらに青島から遼東半島、朝鮮半島にかけて綿密な調査を行い、
里山の暮らし動植物などすべてがほとんど共通していることを確認して
いる。
水田稲作の導入と拡大は、自然環境と共存しながら循環型社会の
基礎を作り上げていった。
水田面積は平安時代には100万ヘクタール(a)を越え、米の生産量は
100万トンに達した。
明治の初期には面積は250万ha、米は470万トンにもなっている。
この間の人口も450万人から約3000万人に増えた。
水田の肥料には弥生時代から近年まで、草を刈り敷くやり方が中心であ
った。そのため水田面積の10倍の草刈り場が必要とされたという。
寺社建立のための森林伐採も進んだから、過伐は常に大きな問題となって
いた。そこで里山からの落ち葉に家畜やヒトの糞尿などの有機肥料などの
活用が工夫されて、昭和35年頃までその循環型農業が続いたのである。
人口の増加は燃料の需要を拡大した。農家1戸当たりの薪炭消費量は年
34トンであり、そのために必要な里山は11.2aと推定されるとい
う。著者らは全国18か所の農家でヒアリングしてそのデータをとって確か
めている。
このような自然循環での暮らしも、昭和25年に人口が8000万人
を越えたあたりで、すべての衣食住を賄うことが困難になった。
里地里山の環境に負荷をかけすぎると、また収奪が限度を超えると、災害
や凶作で生命、生活が犠牲になる。
古人はその戒めに山の神、田の神を崇拝し、大切にしてきた。
これらの教訓が、人々に生きてゆくための知恵と技を継承させてきたので
ある。

里地里山に共存する生態系や動植物、水、土など、自然環境を構成する
要素には、無用物は何もない。
持続的な循環型社会を見直す上では宝の山である。
そこに暮らす里人は、次代に里地里山文化を伝え、命、仲間、労働の大切
さを教える先生でもあった。
昭和30年から40年代にかけての里山の変貌について、著者は実に丹念に
実地調査を行い、野生動植物の生態やヒトの営みについてのデータを収集
している。
著者はそれらのデータをもとに、伝統的技術による里地里山の修復と生
態系の再生についての実験を開始した。
その範囲は北海道の札幌市の放棄水田、放棄林の修復から始まって、和歌
山、福井、新潟、埼玉、兵庫、広島にわたっている。
水田のあぜの修復、間伐や芝刈り、落ち葉掻きなどの手間は相当のもので
はあったが、生態系は着実に回復したことを検証した。
ヒトと動植物が育んだ循環型里地里山文化は、持続的ライフスタイルを再
構築する上での大きなヒントを与えてくれた。これからどのように暮らし、
どのように子孫に継承してゆくのか、ここでいま一度、昭和30年代までの
循環型の里地里山文化を見直し、現代的な視点から応用できる技を生み出
す時期にきている。
里地里山は単なる懐かしさから、これからの自然と人間との関係を探るた
めの指標に変わったのである。
                 要約 吉澤有介

  

2010/4/12 月曜日

動的平衡 -生命はなぜそこに宿るのかー  福岡伸一  木楽舎

カテゴリー: 本を読んで   by editor5 @ 21:18:38

動的な平衡
身体のあらゆる組織や細胞の中身は常に作り変えられ更新され続けている。
生きているというのはこのことで「動的な平衡状態にあるシステム」である。

このネットワークの一部を他の部品と入れ替えたり局所的な加速を行ったり
することは効率を高めるかに見えても結局は平衡系に付加を与え、流れを乱
すことになる。

遺伝子組み換え技術は期待されたほど農産物の増収にならず、臓器移植は延
命医療になっていない。

生きていること
「動的な平衡」によって「エントロピー増大の法則」と折り合いをつけるこ
とである。
機械的な動きは直線的であるが生物は非線系で渦巻きの意匠にシンボライズ
される。
生命と自然の循環性の上に成り立っている。

ミトコンドリアとは
細胞の中にあるミトコンドリアの役割は酸化によってエネルギーを産出する
ことである。1つの細胞の中に数千ケを内蔵している。
常に活性酸素にさらされているので老化と関係がある。

ミトコンドリアは細胞に寄生する別の生命体である(この体内にはDNAを
もっている)。太古では自立的な細菌であったが大型細胞に捕らえられて共
生関係を構築した。

酸化能力でエネルギーを作って宿主に供給し、宿主は体内に留め栄養を与え
ている。

ミトコンドリアのミステリー
ミトコンドリアから母系をたどることができる。卵子と精子が合体するとき
精子からはDNAだけが卵子に入りミトコンドリアは入れない。

そのため子供のミトコンドリアは母系由来のものだけになる。
今の人類の調査をした結果アフリカに共通な太母がいて約16万年前に世界
に広がっていったことが定説になっている。

葉緑体も別の生物
植物の光合成を行っている葉緑体も細胞内に共生する別の生命体であること
が明らかになっている。

モンサント社の強欲なビジネス
強力な除草剤「ラウンドアップ」を販売しこれに耐性を持つ遺伝子処理した
大豆を売り出した。しかも一代限り(不稔性)の種である。
EUや日本で反対運動が起き世界戦略は失敗した。
生産者よりの戦略ではうまく行かないことが判明し、消費者サイドに立つビ
タミン強化の米とか未成熟トマトとか始めたが戦略的に成功とまでは行って
いない。

バイオテクノロジーは生物に不自然な負荷を与えるので生物は平衡を取り戻
そうとする「ストレス応答反応」を起こす。

        記    福島 巖

  

2010/3/29 月曜日

木とつきあう智恵   エルヴィン・トーマ    地湧社

カテゴリー: 本を読んで   by editor5 @ 15:25:32

著者はオーストリアザルツブルグ生まれ。
チロル地方の営林署に勤務のあと独立して木材加工会社を経営している。
西欧の木材産業の一端がうかがえて参考になる本である。

 

月と森と木の秘密
チロル地方には古くから
「冬の新月の時期に切った木は良質で長持ちする」
という伝えがある。
彼はこのことが事実であることを実験や偶然のできごとを通して証明する。

そのうえ森林局に働きかけ「新月の木」を良質木材の国家証明として明示
することにした。

 

木枯し
伐採した木の乾燥方法に関して。
木を切ったあと枝を付けたまま梢を下に向けて3ケ月ほど放置しておくと
良く乾燥して含水率が40~50%下がる。

枝を付けた幹はもう一度実を付けて種を残そうという生存本能に目覚める。
その結果枝に幹から水分を吸い上げ、葉から蒸発するため幹は軽くなる。
梢を下にするのも樹液を重力によって下げるためである。

 

ふさわしい場所で成熟した木
高地で生まれゆっくり成長したものが絹の肌を持つ最高級の銘木になる。
天然林は落葉樹やモミ、カラマツ、シモフリマツなどの混合林を作っている。
現在のように高度千メートル以下の場所にドイツトウヒの単一人工林が作ら
れているのは異状である。
腐葉土の成分が偏って酸度が強くなる、害虫や菌類がはびこる、嵐や積雪に
対する抵抗力を弱めるといった害を伴うことになる。

 

伐採時期
12月末から1月初旬の新月や下弦の月の頃がベスト。
月の引力がどのような作用を木に与えているのか不明であるが、木材の耐久
性が向上する上、カビなどの菌類や虫に対する抵抗力が強くなる。
楽器(バイオリン、チェロ、ギターやオオボエなど)の製作には薄くて、反
りが無く、自由に振動してよく響く最度の品質が要求される。
製作者は山に行って木を選び、新月の時期に切って充分な時間をかけて乾燥
する。
これが短いと音に落ち着きが無くオーボエなどにはひびが入ってしまう。
(注:月の引力は様々な形で生物に影響を与えているようです。ALリバー
博士のBiological Tides Theory:バイオタイド理論が参考になります)

 

オーストリアのピュアーウッド住宅
正常に育った木材を正しい時期に伐採し、貯蔵、乾燥、加工を適切に行って
家を作る。
化学物質や補助金具など一切使わずに木材だけで仕上げた暖かい、住み心地
の良い家が人気を得ている。木の香りがコクゾウムシなどの虫を遠ざける。
作者はこの住宅会社を経営して木造建築の良さを世界にアピールしている。

         記  福島 巖

  

2010/3/11 木曜日

スノーボールアース仮説(地球の全球凍結) 藤田良廣

カテゴリー: 要約情報   by editor5 @ 0:06:36

1.はじめに   
私は、NPO法人蔵前バイオマスエネルギー技術サポートネットワークに所
属しています。地球温暖化の原因である化石燃料の過大な使用を阻止するた
めにバイオマスエネルギーを活用する方策について様々な検討を行っていま
す。
実は私が中心となって単細胞藻類を培養してバイオマスエネルギーとして活用
することを考えたのですが現在まだ安定して単細胞藻類(SCB)を培養する
方法が確立されていないので壁に突き当って立ち往生しています。

今回は温暖化の逆である地球の全球凍結の話が中心です。
 地球温暖化が今日の地球の最大の問題であり、その為には二酸化炭素(CO
2)を極力減らさなければならないというのが世界的な流れとなっています。
46億年の地球の歴史を振り返ってみると40億年前の地球の大気には酸素
が殆ど含まれていなかったと考えられています。
22億年前頃に酸素濃度が急激に増加したと考えられています。
その原因はシアノバクテリアによるという考えが主流です。
25億年前から5.42億年前の原生代は地質学的証拠も多く、現在も研究が進
んでいるがこの時代の初めと終わりに全球凍結(スノーボールアース)が生
じたと考えられています。

 2.スノーボールアース 
    かつては全球凍結はあり得ないと考えられていました。一旦凍結す
れば元には戻れないと言うのがその主な理由であったようです。
しかし1992年にカリフォルニア工科大学のジョセフ・カーシュビング教
授は、スノーボールアース仮説を提唱しました。
全球凍結からの脱出も大気中のCO20.12気圧程度まで増加すれば可能で
あることが明らかになりました。
 本格的にスノーボールアースについて知りたい方は下記の本を読まれるこ
とをお勧めします。
 ◯田近英一「凍った地球―スノーボールアースと生命進化の物語」新潮社
現在明らかになっているスノーボールアイスは、原生代前期の「マクガニ
ン氷河時代」 (23億~22.2億年前)と原生代後期の「スターチアン氷河時
代」(7.3~7億年前)及び「マリノアン氷河時代」(6.5~6.35億年前)で
あると言われています。
 22億年前のマクガニン氷河時代についてはまだ不明確な点が多いのですが
原生代末期の二つの氷河期の凍結に関しては現在の地球上の温暖化―寒冷化
のサイクルが寒冷化に大きく振れたとすれば全球凍結の可能性も考えられま
す。氷河の進展を負のフィードバック作用と正のフィードバック作用とを考
えてみます。
負のフィードバックはシステムの暴走的な挙動を抑制する機能です。
地球の環境が安定なのはこの負のフィードバックの効果(ウォーカ
ー・フィードバック)によると言われています。
例えば火山の噴火により多量のCO2が排出されても地上の珪酸塩鉱物の
風化が作用して急激な大気の炭素増加には繋がらないのです。
 逆に氷河が広がってきた場合には氷は光の殆どを反射して吸収される
エネルギーは少なくなります。
これは正のフィードバックであり氷河の生成をどんどん進める側に作用
します。
氷河がある程度以上に進行すると正のフィードバックが進んで全球凍結
の状態になります。
 

3.スノーボールアースからの回復
   いったん全球凍結になると、大気と海は完全に遮断され大気中の
炭素は海へは供給されない状態となります。従って大気中のCO2濃度
はどんどん上昇の経過をたどることになります。
 前にも述べたように、CO2の圧力が0.12気圧を超えると温暖化
現象により氷が溶けだしスノーボールアースは解除されます。
スノーボールアースの状態の大気温度が約-40℃であったのが、一
転して上昇し最高60℃まで上昇すると予想されています。
最大100℃の温度変化が生じる事態です。
単細胞生物であればこの様な温度の変動に充分耐えられることは分か
っていますが、体の組織が複雑化した多細胞の生物がこれに耐えられ
るはずがないであろうと考えられる。
 スノーボールアースの状態から大気中のCO2濃度が0.12気圧にな
るまではおよそ400万年程度と言われています。
氷が溶け出す時間はおそらく数百年か数千年程度で全ての氷が溶け
てしまうと考えられる。
これは通常の気候変動ではなく明らかに気候ジャンプと呼ぶべき異
常事態の発生です。
最後のスノーボールアースの時には、真核生物である緑藻、紅藻、
褐藻などの藻類の仲間が出現しておりこの大氷河時代を生き抜い
たことがわかっています。
しかし、この様な過酷な状況を如何にして真核生物が生き抜いた
かに付いてはまだよく分かっていません。
化石として残る骨格などがないこれら藻類の生存証拠はなかなか
残存しづらく確証が得られません。
 スノーボールアースの最盛時の海の氷の厚さは1000mと言われ
ていますが一部にはもっと薄い氷が存在した可能性が指摘されて
います。
現在の南極大陸には多くの湖が存在していますがドライバレー
と呼ばれる大変乾燥した地域に見られる湖の氷は予想より遙か
に薄いそうです。
理論的に予想される300mに対して実際は5mしかないそうです。
しかもこの氷の透明度は非常に高く太陽光が湖底まで達して氷
の下で光合成生物が活動しています。原生代末にも同じ様な状
況が生じたとすると、この様な場所に藻類が生育してその子孫
が現在の各種植物の先祖となることは充分に考えられます。
 しかし、―40℃から60℃の世界という極端な条件を生き
ぬいた生物はわずかであり多くの生物種は絶滅をしたと考えら
れる。
化石では確認できない大量絶滅が存在したことは明らかであろ
う。
 これらについての地質学的な様々な進展は、地球の進化の究
明として近年多くの進歩が発表されている。

 4.生物の大進化
   カーシュービンク博士は最初のスノーボールアースの原
因はシアノバクテリアであるという説を唱えている。当時の温
暖化ガスの主役はメタンガスでありシアノバクテリアの活動が
盛んになるとメタンは新しく生成された酸素により酸化されて
温暖化ガスの機能を無くしてしまう。
これ以降は生物による酸素の製造が継続して続くことになりメ
タンは地球温暖化の役割を二酸化炭素に譲り渡すことになる。
しかし地球上の生物の大進化の端緒はシアノバクテリアの活躍
であることは明らかである。

 最後のスノーボールアース・イベントであるマリノアン氷河
時代(6.65~6.35億年前)の直ぐ後の5.8億年前に
エデイアカ
ラ化石生物群の大発生が起こります。この動物群はそのまま後
に繋がるものは無かったもののその後の生物に繋がる基本の形
は殆ど揃っておりこの時期で進化の方向はほぼ出来上がってい
たと考えられている。
 エデイアカラに引き続くカンブリア紀の動物は、今に繋がる
として理解される生物群となって今に繋がっています。化石の
存在で確認される生物の進化の時代はこの辺りから始まるとも
いえるようです。
 大気中の酸素濃度が、約22億年前に急激に増加した後約6億
年前にも急激に増加したことが以前から認識されていたがこ
の酸素の増加が生物の大進化に繋がるのではないかとの考えが
浮かび上がってきている。
地球の環境は今までは自然が(神が)決めていたモノであっ
たが、今は人間の行為が環境を決める時代になろうとしていま
す。我々人間は謙虚に自己の力を見つめて対応を考えるべき時
に直面しているのだと認識しなくてはならないでしょう。

  

2010/3/10 水曜日

 「強い者は生き残れない」    吉村仁著  新潮選書

カテゴリー: 本を読んで   by editor5 @ 22:44:33

環境から考える新しい進化論
著者はかって「素数ゼミの謎」(文芸春秋)で新しい進化論を展開した数理
生物学者です。
その環境不確定性進化理論は、現在欧米の進化論学界で大きな注目を集めてい
るそうです。
本書では、環境変動が生物の進化に対してどのように関わってきたかについ
て、多くの事例について検証し、創造的な発想で自由奔放に論旨を展開してい
ます。最近の進化論を学ぶ好著として一読をお勧めします。
人間も生物なのです。地球の生物は40億年前に発生して以来、環境の変化と
ともに「進化と絶滅」を繰り返してきました。
人類も決して例外ではありません。その端的な例が企業の経済活動でしょう。
環境の変化に対応して、生き残るとはどういうことなのか。
本書では、現代の進化論=総合学説の「適応度の高い者、すなわち強い者が生
き残る」に対して、さまざまな生物の長い歴史から、現在生きている生物は決
して「強い者」ではないこと、環境変化に適応して「他者と共生・共存する」
者が生き残ったと述べています。
ダーウィンは個体の変異に注目して、より環境に適応した個体が生き残ると
いう「自然選択」理論を提唱しました。しかしここでは環境という概念がまだ
明確でなかったために、環境変化への適応は軽視され、適応度だけが問題とさ
れてきたのだそうです。環境変化は例外とみられてきました。また「自然選択
」では、自分に不利になるのに「利他行動」することの説明がどうしてもつか
なかったのです。
それらの問題については、近代に入ると「ゲームの理論」が盛んに応用され
るようになりました。ゲームの理論は、囚人のジレンマなどで皆さんもよくご
存じでしょう。
ここで進化的安定戦略の概念が生まれて、進化における最適の行動パターンが
浮き彫りになってきました。ハチやシロアリなどの行動も説明できるそうです。
すべての生物は環境変化に必死に対応します。
最適化するよりも保険をかけたり、リスクを分散させたりする戦略をとりまし
た。一夫一婦のはずのトリのつがいでも、メスがこっそり浮気して、別のオス
の卵を産んでDNAを分散させているのだそうです。
厳しい環境変化があったときは、単独でいるよりはさまざまな仲間と一緒の
ほうが有利になります。多細胞生物から植物群落、熱帯雨林などもそうです。
協力しあって生き残る共生の進化史が続いているのです。
カンブリア大爆発も5大絶滅も、生き残った生物はこの共生とお互いの協力がカ
ギでした。同時にまた生物は一人勝ちを防ぐシステムをつくり出しています。
単なる強者が勝つのではない、実に巧妙な戦略をとってきたのです。
人間社会では、この存続のためのルールよりも利益の最大化をめざしたため
に、破綻と絶滅を繰り返しています。経済学はなぜ間違ったのでしょうか。
それは富の有限性を無視したからなのです。生物はつねに資源の有限性のもとに
行動してきました。コリン・W・クラークは新しく生物資源経済学を提唱していま
す。これは良い示唆になることでしょう。
         記 吉澤有介